第24章 奇跡のバランス

長い1日だった。珍しくサッチーナが取り乱した。
「大丈夫かい、サッチーナ」
小刻みにおえつを繰り返す夫人を博士はやさしく抱きしめていいました。
「私たちには大事な仕事が残っているんだよ、、」

夫人が見上げるように顔を上げた。
「バランスだ」
「バランス?」
「そう、ロッコの中に奇跡のバランスがうまれたらもしかして、、」
「もしかして!?」
「解決できるかもしれない、、、」
「えぇ? ぇ! 本当!?、、」
サッチーナが子供のような顔を向けた。
「でも奇跡のバランスって?」
「あぁ、これはロッコの脳を考えてみたんだ。もちろん文句のつけようがない。IQ500に近づかんとしている脳だ。素晴らしい記憶力と知識、まるでUUC(ULTRA ULTIMATUM COMPUTER)のようにデータが整理されてる。それと鋭い直感力、いわゆる動物的カンていうものも本物だ。これだけの膨大な知識と直感力があれば、たいていのことは片付くだろう。
だが、この脳は、甚だバランスが悪い。高いレヴェルの脳を持ったからこそ、要求されるべきことだが、“思索する脳”に至ってないことだ。
ロッコの場合急激な発達の為、そのキャリアが薄いのはやむおえないがこれから何が起きるのか、予想がつかないけれど確かなことはロッコに全面的に頼るだろうということだ。
思惟的な部分、全体を貫くロッコなりの世界観これはロッコ自身が構築していかなければならない。動物的カンを少し押さえた思考の世界を築き上げたら、見えざる危機も数理、定理をこえてロッコには見えてくるかもしれない」
「心の内側の問題ね」
「そうだ、普通のネコだった時は考えもしなかっただろうが。こういう得体の知れないことを解き明かすには学問だけつめこんでもではだめなんだ」
「私も学生時代、宇宙に関し、人間が知識や英知をもってしても見えてこないことがあることを知ったとき本当にショックだった。学問だけではないのね」
「3次元学問の限界だね」
「3次元!?、、、」
「そうだ。その先は神秘主義か霊的世界にたよるしかない」
「ロッコには卓越した精神性を心の内側に培ってほしい。例えば、東洋思想の“空”という概念だ」
「クウ?」
「うむ、この宇宙全体あらゆるものに不変の実体はない、つまり“空”である。物質的存在そこには実体はなく“空”である。固定的な実体がなく“空”であるから、あらゆるものが成り立つ。ということだ。
これは、世俗にまみれて生きている我々人間にはとても難しい教えだけれど、ロッコならと、ふと思ったんだ。
あれだけ純粋で、固定観念を持たず、まみれる俗もなく、私欲もなく、ひたすら真理を見つけようとしている。しかも並外れた頭脳の持ち主である。悩み多きロッコの心に瞬時でも、一心三観の境地がよぎっても不思議はないと思っているんだよ」
「イッシンサンカン?」
「うぅむ、、三つの境地があると考えてほしい。ひとつは、実体のないことを見極めきれず、あるものとして執着してしまう。行動も考え方も自分だけの考えを押しとうしてしまう。そんなことを戒めそこから遥かに脱した境地。
二つ目は、その境地を更に深く会得して人々に救いの手を差し伸べる実践の境地。
三つ目はこの二つの境地をとらわれることなく、しかし自在に操る。ロッコがこの境地に少しでも近づけたらダヴィンチもアインシュタインもこえる奇跡のバランスを得た脳をもつことになる。これは永年私淑している老師の教えだ。さっきロッコの顔に老師のお顔が重なってびっくりしたんだ。、、そろそろお呼びなのかな、、」

「あの、いつか連れて行ってくれた小さな村はずれに一人で住んでるおじいさんのことね」
「うむ」
「私がお土産のクッキーの詰め合わせを出そうと、バックに手をかけたら“わしはクッキーなどくわないぞ”って、、びっくりしたわ、あの時、、。“お前は天文学なんぞやって何を知りたいんだ”なんていきなり言われて、どうしてわかるのかしらって、あの時だってあなた、訪問することを知らせずいったのよねぇ」
「知らせるも何もあんな田舎の、しかも村はずれで知らせようもないところなんだよ」
「でも彼は私たちがあの日来ることを知っていた。おかゆも2人分用意してくれてたし、、。何を聞いてもすぐ答えてくれるし、何処からそんな情報を得てるのか本当に不思議な一日だったわ。お顔を拝見してると、肌つやが良く、年齢が良くわからないわね。東洋の人って、、あなたよりは上でしょう?」
「は、ははは、、老師はいま130歳ぐらいだよ」
「え? ぇ!?」
「彼は誰よりも先にあの地に住み、誰よりも永く生きてるのさ、。村が出来る前から」
「本当に? もともと何故あそこにすまわれたの?」
「禅」の修行さ。27歳のときからだから約100年修行されているわけだ」
「へぇえ?、ZENの修行ってそんなにかかるの?」
「何年やったら終わり、というものではないよ、修行は」
「あの村もとっても素敵だった。人々が皆いい顔で幸せそうで。私が特に驚いたのは、あの小さな村に、あんなにたくさんの人種がいるなんて。それにみんな母国語を平気で使っている、、」
「老師のお考えさ。言葉を、ひとつにする必要はない。という考えで、言葉にはその人の、あるいはその人種の魂が宿っている。他人の魂を勝手に抜き取ってはいけない、と。会話をしたければ相手の母国語を必要最低限、憶えればよい。と、
それに無理に話なんかする必要はない。とも、、本当に必要な話をしたくなったときには誰にでも解る。顔、体に書いてある。と、言われる。老師は村が家族的になることにも注意している。だからあの村には集会とか、祭りとか何もないんだよ。“みんな好きにしなさい、ただし本分を忘れずにな”が、老師の口癖だ。ロッコも是非連れてきたい」
「あの美しい村、なんて言いました? モラン、、」
「、、ゴーニュ」
「そう! モランゴーニュ。夢のようなところね」
「いや、、、夢をこえた人々が、終の住処として選ぶところだよ」
「夢をこえた人々!?」
「あぁ、、」