第22章 ロッコ登場

ズゥ〜〜ツ
ツ〜〜ズゥ
クゥ〜〜ウ

「ん!?、なんだね、、この音は」
博士がミネラルウォーターを手にしたほんの少しの間、シーンとしたスタジオに妙な音が響きました。あわてたようにカメラが音源を捜してスタジオを一回りなめまわしロッコをとらえて止まりました。

何ということでしょう!
ロッコがスヤスヤと眠っていました。
「ロッコのいびきかぁ」

ウィ〜〜ニ
ク〜〜イゥ
照明がやっと追いつき、天井から強いサスペンションライトがロッコの全身を捉えました。

異変に気付いたロッコがガバッと起きて、
しまった! 寝ちゃった、
と、びっくりした顔から、
わぁ、みんな見てるぅ!
と、決まり悪そうな仕草まで全世界に配信されてしまいました。
スタジオは可愛いやら、可笑しいやらで、それまでの、張り詰めた空気がほどけて、笑いの渦となりました。

博士は考えてました。
本番直前までサッチーナやごく僅かな関係者と、“地球の危機”についてどう扱うか、激しい議論をした末、意見が真っ二つに分かれてしまい、答えを得ぬままタイムアウト。この場に及んでいたのです。博士はもともと、断定できる程まだ材料がない。という理由で“地球の危機”説は今回は触れずにおこうというつもりでしたが、他方反対派はもう残り後2年となった今、確かに一部の科学者の意見にすぎなくとも自説は公表すべきではないか、それによって、死というものと向かい合うことが出来る人々がいる。この2年を有意義に過ごすことを望む人々も多いはずだ。死を意識し、その為の準備をすることが出来るのは人間だけだ。という意見もあり、そのやり取りが先ほどから博士の耳元で何度も反響し、さすがに顔がこわばっていくのが隠しきれない様子でした。

そんなとき予期せぬことが起こったのです。なんとロッコが眠ってしまったのです。
スタジオ中が笑いに包まれました。世界中の緊張が一瞬緩んだこの機を博士は見逃しませんでした。

「それでは皆さん、ご紹介いたしましょう、ネコのロッコ君です」

ロッコは椅子から立ち上がり言われていた通り正面のカメラにむかって
皆さん、こんにちはボクはネコのロッコと申します。
ペコリと頭を下げ、スタスタと博士の前に来て、またペコリと頭を下げ横にすわりました。
ごく普通のどこの国の人が見ても分かる礼儀作法です。普通でなかったのはネコが二本足でやってのけた事だったからです。しかもごく自然に当たり前のように。それはサーカスでお目にかかる動物たちの仕込まれた達者な芸とは明らかに違う。自分の意思を感じさせるスムーズな動きでした。

「おおぉぉオオォ〜〜」
と、スタジオの人達が全世界の人たちが誰でも分るそれぞれの感嘆の声を一斉にあげたのでした。

ふたたびセッションのような楽しい空気が地球をおおいました。
しかしロッコは世界中の目が、今自分に注がれていることを強く感じ、新たな興奮を覚え、同時に自分の様子が少しずつ変わりつつあることを感じ始めていました。

スタジオに入った時、ディレクターから
「このカメラをみて話してください」といわれたとき、ロッコは少し戸惑いを覚えていた。
いつも相手の目を見て話してきたのに、今日はカメラを見て話すんだ。
それを思い出したロッコは、自分の正面にあるカメラをしっかりと見つめました。
四角い大きなフレームの中のガラスの奥に、まあるいレンズがある。よ〜くみると、見たことのある大きな目がガラスに映っている。カメラがググッとよってきた。
あ、自分の目だ。
自分の顔が半分ほど映っているのがロッコにはよくわかります。
お父さんのカメラとは全然違う。
お父さんの被写体になっていた小さい時のことが昨日のことのように甦ってきました。
お父さんのときは、やんちゃで、じっとしていられなかったのに、いまはこのカメラを見なければ、と、ちゃんと自分に言い聞かせています。

目をそらしちゃイケないんだ。
ロッコの目がビックリしたように見開いて、両の目一杯カメラをじぃっと見捉えています。
最大になってピタッとフォーカスした瞬間、ロッコに異変が襲いました。目が固まりました。
スタジオのわずかな人の群れが起こす空気の淀みも、しっかり体感していたのにそれも消え、横で再び博士が話しをはじめた声も、どんどん遠くにとんでいってしまいます。

一瞬のことだったに違いない。密閉された空間で長く待たされたためだったのか、容赦なくロッコを捉えるスタジオの照明の熱さのせいか、それはこの日のために周到に準備をしてきたことの数々が一回きりの打ち上げ花火に勝手に火がついて、ドドンと派手な音と共にパッと消えてしまったかのようにロッコの頭はからっぽになってしまいました。同時に体の中心にあった重石が、どんどん頼りなく小さくなって、いまや抜け殻状態です。

これはお父さんたちに初めて話をしたとき、博士の家を訪ねて話をしたときともまったく違う経験です。
どうしたんだろう?
ロッコは自分の目を見つめ続けてすっかり自己催眠状態にはいってしまったのです。遠くで聞き覚えのある明るい声がひとつになってスタジオや博士の存在にかわってロッコのまわりに少しずつボリュームを上げながら迫ってきました。

なつかしい声、なつかしい空気、なつかしい匂い

きいちゃんだ! きいちゃんの声だ。
ロッコは重く固まった体からするりと抜け出し、夢見心地に漂う思い出の隙間に、ちゃっかり入り込んでしまいました。