第16章 再びチャンスウインスキー邸

「とにかく、中に入っていただきましょうよ、あなた」
「ふあい、、ふぁい、、」
骨抜きになった様な博士を尻目に、サッチーナはてきぱきと動いた。

夫人に促されて、ロッコは軽く会釈をして一歩前に出て、後ろを振り返りました。お父さんの車が、ゆっくりと走りだすのが見えました。こちらを見たお父さんの笑顔が、ロッコにはとても嬉しく、安心したのか、スタコラ、スタコラ、つい勢いがついてしまい夫人と博士を追い越してリヴィングのソファにチョコランと得意のロッコずわりをして夫人と博士を待つ形になってしまいました。
「まぁ、かわいいこと、、、ね、」
と、サッチーナは博士に同意を求めようとしましたが、博士は入り口に立ったまま入ってこようとしません。見ると、博士の目線の先はロッコの全身に注がれ、ぶつぶつと言いながら小首を傾げたり、うなずいたりなにかを確かめようとしているようです。

「ふむう、ふむ。ふうん、、ふふふ、、サッチーナ分かったよ。、、」
やや青白く、戸惑い気味だった博士の顔が.みるみるうちに紅潮してきていたずらっぽい目元に笑みが戻り、いつもの得意な顔にもどってきました。
「いやぁ、実によくできてる。プログラミングも上出来、姿、形もまさにネコだ。が、サッチーナ、私は二つのことで見破ったぞ」
「、、、、、、、」
「ひとつは耳だ! 一般的に、犬の耳の優れた能力が知られてるが、猫の耳はその比じゃない。高音の聴取能力では,犬は5万ヘルツに対してネコは9万ヘルツ。ちなみに人間は2万ヘルツ程度だ。いかにネコが音に敏感かということだよ。
それに、すばやく音源を突き止める方向確認能力も,誤差を比較した場合、人間は4度、犬で3度ほど、ネコはなんと0.3度さ、、。ね、サッチーナ、だから、、わたしはこの入り口からそのネコの座っているソファに向かって、、そう、多分6,7メートルあると思うが、、この能力の証明を試みたんだよ。極めて小さい声を発してね。ところが私のにらんだとおり、このネコの耳は一度も反応しなかった。音源に向かってピンと立ち上がることは,無かったということだ」

「それで、」サッチーナが、ひどく愛想のない声で聞いた。
「それで!?、、あ、そうそう、もうひとつ。これはサッチーナ、君も見ていただろう、さっき私たちを追い越して、リヴィングのソファに向かっていったときの格好を、アレは動物の動きじゃない。いかにも作り物の動きだな、人間が作ったということが、すぐ分かってしまうよ。がにまたで、笑ってしまったよ」

「だから、」もう覚めきった声で聞いた。
「だから?、だから、、つまりこれはロボットだろ? 操作は君かい?」
「いいえ」
「あ! 彼だな! ロボット工学研究所の、、なんていったかなぁ、、去年所長に着任した、、そうハンスだ。ハンス・ウィットラム君(Hanss  Wuittram)だ! パーティの時も客をエスコートし、カクテルを作り、歌をうたい、ダンスをするロボットを披露していたじゃないか。人工皮膚をつけてて、一見すると人間と見まごうばかりで、いよいよロボットもここまで来たかと、驚いた。君もとてもよく出来ていると感心していたよね、彼かい?」
「何がですか」
「だからこのネコをつくったの?」
「、、、、、、、」
「違うのかぁ、、あ、ちょっと待てよ、きっとこれは何かのサプライズだな、サッチーナ? きょうは何日だったかな、、え~と、、」
2月25日です。
ロッコは、とてもはっきりと、そしてきっぱりと答えました。
その瞬間、時が、世界中の時が止まったかと博士は思いました。でも止まったのはここ博士の家だけ、いや博士の頭の中だけだったのです。

驚かせてすいません。
それと、ボクはロボットではありません。ネコです。
きっとすぐには信じられないかと思いますが、ある日をきっかけに、言葉が話せるようになったのです。
それと二足歩行で歩くことにしました。もともと四つ足のために、胴がとても長く、足は短いので立ち上がると、、さっき博士がおっしゃったようにおかしな歩き方になってしまうんです。

「大丈夫よ、とても上手に歩いてたわよ」
すかさず言ったサッチーナの優しいこの言葉がロッコをとても勇気づけました。そして、その時が来たのです。
ロッコは、ふう? とひと息はいて博士と正対しました。
世界中で、たった一人の人です。
この人に聞いてほしかったのです。
モーム・チャンスウインスキー博士。
現代の正義。本当の人間愛に満ちた人。

ロッコは口を開きました。3ヶ月前に身に起きたことを。それは自分の運命だと思ったこと、人間に願うこと、地球のこと、思いの丈を、膨大な情報と知識を元に、、、ひと言ずつ確かめるように、、、話した。
そしてそれをやり遂げるつもりです。
博士、応援して頂けないでしょうか。
と、言い切った。

外は、風もすでに力を失い、静かに夜を迎えようとしている。東南の庭に面した、リビングの窓だけ博士の希望で、様式を無視して、大きな窓枠に作り変えてある。

右手のソファに陣取ったチャンスウインスキー夫妻。ほとんど人形のように、表情を変えることなく一点を見つめたまま動かない。
その目線の先には、まあるい頭のネコが、かれこれ2時間近くもオーケストラの指揮者のごとく椅子から立ち上がったまま身振り手振り、時に激しく、時にゆっくり、何かを訴えているような、諭してるような様。

大きな窓枠の中で起きていることを、通りすがりの見知らぬ人が見たら、異様な光景に立ち止まってしまっただろう。
窓枠はプロセニアムアーチに変わり演じ手と観客に分けられて、交わる事を許さない。これは現実か、夢の中か、あるいは、これこそ超現実なのか。確かにこのとき、類い稀なる二つの知性は、ロッコというネコを目の前にして、この共にいる空間をどう理解すべきなのか、うつつの背後からにじみでる“ブルトン的”なる世界に身を委ねようとしていたが、ロッコのリアルな言葉が、それを阻んでいくのだった。