第15章 東の空を見つめて

午前4時。
今のロッコにとって、これ以上魅力的な時間はありません。お父さんと長い話し合いを終えたばかりなのに、少しも疲れた様子をみせず、ロッコの好奇心は階段の先へと向かっていました。でもいつもと違う。初めて花梨の手すりに手を置いたロッコは、緩やかな曲線を描いて2階にのびた階段を見上げて、新鮮な緊張感を覚えていました。
今まで何度となく昇り降りしてきたのに、、、。
きいちゃんと全力で追いかけごっこしたのも、ロッコには、もうはるか昔の思い出のように感じます。
踏み板を広く取り、蹴込みを低く抑えた贅沢な階段だ。それが今のロッコには反って上りずらい。
早く慣れなければ。
ロッコは自分に言い聞かせるように、一歩づつ慎重に足を運んだ。

何か違う。景色が、臭いが、、、あぁそうか、
しゃがんでみるロッコ。
へえ、目線の位置で見えてくるものがこんなに違うなんて、、
いつも踏み板の柾目模様をみながら駆け上がっていたんだ!

階段を上がりきったロッコは、うおぉぉ!と低い声をあげてしまいました。
両壁が、床から1mぐらいの幅でずうと奥まで、深いボルドー色のゴブラン織りの布地に覆われているのだ。元々色調は抑えられていたのだろうが、時の経つのを承知してたかのように全体に褪色した風合いが、とてもシックで味わい深い。
カッコイイ!
さらに両壁にはたくさんの絵がかざられている。もう、好奇心でいっぱいのロッコは、どんな絵か確かめたくて目いっぱい背伸びをしてみました。

あれ!絵じゃないや、写真だ。
これネコの写真ばかりだ。あ、ボクだ!これも、
それも、あっちのも、こっちのもみんなボクの写真ばかりだ!
いつ撮ったんだろう。
あぁそうか、、、。そうだった、。
1歳の誕生日を迎えた頃、お父さんが急にボクをバシャバシャ撮り出したんだ。
お父さんは、何でも完ぺき主義だからいつも撮る前の準備が大変。書斎の隣の15㎡ほどのスペースを半日がかりで真っ白く塗りなおして
「どうだい、ちょっとしたスタジオだろ」
と、お母さんときいちゃんに自慢してたけれど、二人が撮影中覗くと
「コラ!入室禁止だ」と、完全にカメラマンになりきっていた。
その頃の僕は未だ何にも知らない子ネコだったのに僕を椅子の上に乗せたり、床に置いたり、部屋の明かりを絞って右手にカメラ、左手に3本の細い懐中電灯を指の間にはさんで、器用に微妙に動かして、ボクの顔や体にあててはカメラを覗き込んでいた。
もちろんボクは今とはぜんぜん違うし、すご~くやんちゃだったから、5秒と、じっとしていない。動いちゃ捕まえられて戻される。でも僕も負けてはいないから、何度も何度もその繰り返しで、、
今思うとずいぶんお父さんは大変だったろうなぁ、、
でもこの写真全部ボクなのは間違いないけど、ずいぶん、いろんな顔をしてるなぁ、、ボクだけどボクじゃないみたい。
こんなにいっぱい、いつも表情をかえたりしてたのかなぁ、、あぁ~ッ!思い出した。
お父さんそういえば、シャッター切る前に何か訳分からないことを、、、
ちょっと待てよ、
え~と、、
ロッコは少し前の”その時”の記憶のファイルを探していました。
そうだ、これだ!
舞台や映画の大好きなお父さんは、そのドラマの重要なシーンを思い起こす様にロッコに聞かせながらシャッターをきっていました。
ロッコからすると当時は全て(、、、、、、??、、、、、、)だったけれど、お父さんは委細構わず、一人悦にいって楽しんでいました。
お父さんはかねてから巷に溢れている動物写真があまりにもステロタイプのものばかりなので一度ロッコを使って、ロッコの中に秘めてしまって在る、たくさんのロッコ、ただ可愛いだけじゃない、いろいろな面を引き出した写真を撮ってみたいと考えていました。ところが実際は、本当にネコを撮るのは大変だったようです。

でもこうしてここに、こんなにキレイにレイアウトされて、大事に飾ってあるなんて、、、。
ようく見ると右下に申し訳なさげにお父さん、お母さん、きいちゃんの三人のデジカメ写真が、やや右肩下がりに無造作に、虫ピンで止まっていました。ロッコは虫ピンをはずし、右をちょっと上げ、全体のバランスを見てグイッと差し込みました。少し斜めになっていた三人の顔が、今まっすぐロッコを見つめ直してきました。
オトウサン、オカアサン、キイチャン、3人の名を口にしたロッコは、次第に溢れてくる感情の高まりを抑えることができず、大きな目は二重にも三重にも分厚いレンズが張り付き、もうぼやけて何も見えません。
家族の一員として楽しく育ったロッコでしたが、自分の成長が早まるにつれ、迫りつつある運命を感じていました。
いずれ、その時が来る。別れなければならないんだ。
ロッコは天井を見上げるように、顔を上に向けたまま歩き出しました。目は見開いたまま、ただの一滴もこぼしたくないと思いました、東の出窓につくまでは、、。
そして、出窓の前に立ちました。カーテンが開け放たれています。出窓のヘリに両手をついてゆっくり目を閉じました。小さな鼻の脇を、だらだらとこぼれ落ちていくのが分かります。少しこそばゆい感じです。

そのままロッコは、上にあがらず窓越しに東の空を見上げてみました。それは、いつもの場所にいつもの様に小さく輝いていました。
明けの明星、、金星だ。
つぶやくように言ったロッコは、はっ!として右隣の絵に目を移した。
そうか!そうだったんだ!
ヴィーナスなんだ! ここにヴィーナスの絵を飾っているなんて、、、!
じゃぁ、もしかして“あの人”は、
あんなに『愛』をといていたから、、アフロディーテ!?

次々と問題を解くように出てくる言葉の数々、、アフロディーテかどうかロッコにも定かではなかったけれど、定かなのはロッコはすっかり変わったということです。とても知識が豊富になりました。
東の空を、小さく光る星を、これが最後と心に言い聞かせながらロッコは、とても爽やかな気持ちに浸りながら、見つめていました。