第12章 モーム・チャンスウインスキー博士

「皆さんこんにちは、モーム・チャンスウインスキーです」
あらかじめ予定されていた博士の出演だったが、そのスタジオのスタッフでさえ一瞬の緊張が走った。

何しろ前代未聞、ネコが全世界に向かって声明を発表するという。しかも、後見人にチャンスウインスキー博士が登場。このネコはしゃべるだけではない、人間と会話が出来るという。これだけでもみんなが大騒ぎをするに充分な事件だったが、こんどは“小学校に入りたい”というニュースが、世界中を駆け巡りまた大騒ぎとなり、子供からオトナまでかんかんがくがく至る所で口論、議論の輪が出来、てんやわんやの日々になりました。
ナショナリズムの強い一部の国からは他国の事ととしても、ネコが人間と席を並べるなんてとても許しがたい。絶対反対だ! 子供の教育に極めてよくない。など、国家間の問題にも発展しかねないほどの大事件になってしまっていた。

およそネコほど世界中で知られ、親しまれてきた動物はいない。だから、子供も大人も、北の国の人も南の国の人も、みんなこの事件に夢中になってしまったのです。
インチキだ! まやかしだ。ネコが? まさか! 着ぐるみだろう、、!等など、中傷誹謗の渦巻くなか、ついにロッコ自身がテレビに出ることになりました。

あっという間に「特別番組」として、世界中でライブ中継されることになりました。学校にも会社にも公共施設にもデパートにも人がいません。子供も大人もテレビやインターネット、最新のインタープラネットの前で、固唾をのんでその時を待っているのが、このスタジオのなかでも、ひしひしと感じられました。しかも、一年間音沙汰のなかったあのモーム・チャンスウインスキー博士が、何故か一緒だと言う。テレビ局も朝から大騒ぎです。

そんな光景をよそに博士もロッコもわが意を得たり、といった表情で互いに顔を見合わせたが、これから待っている難題、
ロッコは学校に行くこと、まずは小学校から。博士は、それがいかにいま大事なことか、そして地球の未来にも係わっていくこと等を2時間足らずの番組の中で伝えなければなりません。容易ではありません。
しかも全世界に、、。まるで暴風雨の海とわかっていながら、まもなく港から出航する客船の船長と一等機関士のような心境です。たった二人で荒海に出ていかなければならない。転覆を畏れず座礁することなく目的を達成のため、、、、この日のため1年間の時も過ごしました。

最初に席に着いた博士は、久しぶりの公の場にやや興奮の為か、顔が紅潮しています。
「きょうは皆さんにすばらしいお知らせが出来る喜びに、わたくしもいささか興奮しております。わたくしの研究者としての生活もおよそ半世紀、50年になろうとしています。この間、常に最先端の研究に携わることが出来たことはとても幸せなことでした。たくさんの論文も発表させていただきました。過分な名誉、称号などもたくさんいただきました。が、、、しかし、、、」
博士は少し言いよどみ、間(ま)があきました。

「が、、、しかし、、はたして私の研究の成果など皆さんの生活や、人生にどれほどの役に立つことがあったのでしょうか、私の果たしてきた役割は、ほんとうにこれでよかったのでしょうか。この一年間ほど、この問いに何度も何度も突き当たったことは、ありません。
科学者としてのわたくしたちは、常に最新の業績を求められてきました。科学こそ人間社会を夢の様に変えてくれる。そしてそれは個人の幸せにと、つながっていく。世界中の科学者も、我さきにとその最新の研究を一斉に目指しているのです。
たしかに科学は豊かな生活を与えてくれました。生活環境をみてもほんの100年前と現在ではまるで違います。全てがコンピューターで管理、制御された現在の未来志向型科学社会の出現は、好むと好まざるにかかわらず、我々が結局、選択した結論なわけであります。
たった100年足らずで社会環境を劇的に変えた人間の能力は素晴らしい、科学の進歩は人間の進歩のあかしとばかりにたがいを同じ尺度見てしまってはいないのか。日々、“幸福とは”を念頭に科学は走りつづけてきたはずでしたが、現実は大分違うようです。
今この瞬間も世界のどこかで争いやテロが行われ、多くの人が犠牲になっているわけです。科学力は小さな諍いで済んでいたものを、取り返しのつかない争いに変えてしまいました。100年前も世界に平和はありませんでした。
そして100年をへた今も平和はありません。私たちは、なにか大事なものをすっかり忘れてしまってはいないでしょうか。
今地球には信じられないほどの数の殺戮兵器が貯蔵されています。 何のために?
これが進歩ということのもう一つの答えなのでしょうか。進歩といえる本当の基準はどういうことなのでしょうか。わたくしたち科学者が、やってきたことは本当に人類全体を分け隔てることなく幸せにしたのでしょうか?
いや、いや、まだ多くの人達が貧困の中で人間性を失いつつあるのが現状です。
同じ地球の中で、、、なにかがおかしい。科学はまさに諸刃の剣であります。
科学を生み出すもの、それを使用する時の為政者は、厳しく人間性を問われなければなりません。今地球はあらゆる障害を抱えています。手当すべき時を失い、結果を得てから慌ててもう100年以上経ちます。もし科学の発展が本来の目的を見失い、人々を不幸にし、平和を阻むものならば、そして、人間は変わらなく愚かなものならば、私たちは即座に科学というものを放棄すべきではないでしょうか」

博士は「ふうぅ~ん」と、吐息をつき自分で興奮を抑えるように間を取りました。
全世界の人たちが前代未聞のネコを一目見ようと待ち構えていたところに博士の強いリアルなメッセージに一瞬“シーン”となってしまいました。スタジオの“空気”もいつもとまるで違う緊張感にとまどっている様子でした。博士もそれをよんでいました。

「ですが、、」
と、言いかけて目元に笑みを浮かべ、首をいやいやとばかりに横に振り、
「ここで人間の可能性を捨てる訳には参りません。蒔いた種は、何度枯れても必ず美しい花になると信じて世話を怠らず育てていかなければなりません。
まだまだ人間には可能性があるのは事実です。もとより人間は素晴らしい文明を創ってきました。当然地球上で、最も高次な頭脳をもった生物と何の疑いもなく信じてきた訳です。ですから少なくともこの地球においては、人間並み、あるいはそれ以上の脳を持った生物はいない、、、と、そんなこと当たり前だ、と、ですから人間の行うことに異論を挟む生物はいない、、
実際いなかった。このことが、人間をすっかり驕らせてきてしまったのではないか。地球は我が物、いかようにしようと我が勝手とばかりに、、、、。ところが、、ここにきて信じられないことがおきたのです。とんでもないモノが現れたのです。いや考えられないことがそのモノに起こってしまった。
ネコです、、、あるネコにです、、
え?、しかし、皆さんがよく道ばたで見るノラの“ネコ”を想像されてはいけません。これは全然違う、、まったくむしろ、別の星からやってきた知的生命体とでも御想像ください。それがロッコです。
ネコのロッコです。いま世界中で話題のネコです。
“何か言葉のような泣き声を出すらしい。いや、ご飯とかトイレとか云うらしい、体はネコだけれど顔は人間の顔だって、、”
無理もないないですなぁ、まだロッコとあった人は僅かですし、噂ばかりが世界中を一人歩きし、皆さん、いろいろ想像なさってることでしょう。でも、きょう、皆さんは今まで見たことも、聞いたことも、思い描いたこともない紛れもない事実と対面なさるわけです。
私も実のところロッコと初めてあったとき、、なかなか受け入れ難かった。
科学を愛し、科学を通して人生を見つめてきた前世紀の遺物のような私のポンコツあたまでは、ロッコを目の前にしても、とても信じる気持ちになれなかったです。しかし、“事実”は何よりも重かったのです」