第11章 打ちあける

「ロッコごはんよ~」
朝方のあの出来事は、一体どのくらいの時間だったんだろう。
ほんの数分間の出来事だったような気もするし、ロッコの一生をきめたのだから、長い時間がかかったような気もする。いずれにしろロッコには長く重い時間だった。すっかり寝入ってしまったロッコは、きいちゃんの明るい大きな声で目覚めた。

夜8時になっていた。
いつもなら、きいちゃんの「ごはん!」の声でどこにいても「ニャンニィ~」とこたえて飛んでいきます。
でも今日は違います。
ロッコはある決意を固めていました。ゆっくりと二階からおりていきました。お父さんの声がします。
帰ったんだ。
すこし緊張していくのが自分でもわかります。お母さんの声がします。きいちゃんのはしゃいだ声もします。二足立ちで、階段の手すりに片手を軽く置き、ゆっくりと降りていきました。予想どおり、きいちゃんが大きな声を上げました。

「ねぇねぇんぇ! ロッコが立って歩いてる! プレーリードッグみたい、あ、耳が無い!? ロッコどうしちゃったの耳? 頭がまあるいの、お母さんロッコの顔、ハンバーガーみたい!」
いっきにまくし立てていたきいちゃんが、こののち生涯で初めて失神昏倒するのに、さして時間はかからなかった。
階段をおりきったロッコは、三人を前にして神妙な面持ちで、
お父さん、お帰りなさいませ。お母さん、きいちゃん、こんばんは。
と、言った。
「おゲェ~~ッ、、、」
何かふんずけたようなすごい声を短く発して、きいちゃんは後ろへ倒れました。ほぼ同時にお母さんは持っていたお皿を床に落としました。
「言葉をしゃべっている!」
といって、お父さんは、呆然とたちすくんでしまいました。
「ど、どうして、、、どうしたの、、、なにが、、ロ、ロッコ、起きたんだ、、」
お父さんが振り絞るように言った。

ロッコは、何から話していいか順番がわからなかったけれど、とにかく、今朝あったことを一生懸命話した。これから、ずっと二足歩行で歩くこと。宇宙から降りてきた美しい人に、自分の運命を聞かされたこと。人間の言葉を話すことになったこと。もっとも言葉は、実は昔から世界中どこのネコも人間の話す言葉は理解している。しゃべれないけれど。
「ほんとうに?」
ロッコは申し訳なさそうにうなずいた。
「じゃあ、なぜ知らん振りしたり、呼んでもこなかったりするの?」
うん、それは、、。
言いよどんだが、ロッコはこの際全部話しておこう、と思った。

“ネコは生まれたとき母親から、人間の言葉が判るようになっても、決してそういう素振りをみせてはいけません。”と、みんな固くいい伝えられてきたんだ。
「えぇ? でも、、なぜ?」
だって、イヌのようにされるから。
「イヌのようにって!?」

人間は何でもコントロールしたがるから。リードを付けられて朝早くから散歩に連れだされたり、ご飯食べる前にいちいち、“はい、おすわり! はい、お手!”なんて、、、
ボクたちは寝ていたいときには寝てるし、毎回芸をしなければご飯が食べられないなんて、、もちろんボクたちも遊ぶのは大好きだからボールをポーンと渡されれば上手に遊ぶけど、ホーレっておもいっきり遠くになげて、さあ、とってらっしゃいといわれても、投げた人がとってきたらぁ、って思っちゃう。
ネコは芸をしないってよく人は嘆くけど、なぜ人のために芸をしなくてはいけないの?
百獣の王はライオンだ、なんて、だあ~れも思ってないよ、動物の世界じゃ。百獣の王は人間だもん、、、ライオンを狭いおりに入れて見世物にしているのは人間でしょ。
遠い昔、ボクたちの先祖がきめたんだ、、でも、これは、ちょっと言いにくいんだけど、、そのまま言っていい?
引きつったまま、お父さんは、頷きました。
“思い上がった人間とは、一定の距離を置いて付き合おうって、、”
でもそれが功を奏して人間とネコは今、実にうまくいってるでしょ。この関係の好い時に、人間にメッセージを伝えるために、ボクが選ばれ、言葉をしゃべることも与えられたんだ。

「えらいのねぇロッコ、あなたがネコの代表に選ばれるなんて、、」
お母さんが涙声でいいました。お母さんは、ロッコの話しに、もうすっかり感動していました。目はウルウルです。
そんなこと、、
首を横に振りながらロッコは言いました。
ただ、地球は、この地球は、人間だけのものじゃないってことを、たまに考えて欲しいということなんです、。
あぁ、こんなことをいうと“なんて生意気なネコなんだ!”って四方八方から糾弾されるだろうけれど、だけど、今だって人間社会は幸せに恵まれていない人たちのほうが、圧倒的に多いし、いつも世界のどこかで紛争が絶えないし、自然破壊も進む一方だし、本当になんとかしないと大変なことになる。
みんな自分たちの国のことが一番大切で、、なすすべも無く、解決の糸口さえ見つからない状況が続いているでしょ。
それでもネコなんかに言われる筋合いは無いって言うだろうけど、、、。人間同士が戦うのは勝手だとしても、民家に爆弾ひとつおちれば牛も馬もほかの家畜なんかもみんなやられちゃう。イヌやネコもいっぱい死んでるんだ。
動物がどのくらい死んだかなんて、ニュースでは絶対いわないけれど、、、みんな、泣いてるんだ動物だって、、子供が死んじゃったり、親と別れさせられてしまったり、人間だけじゃないんだ! 悲しいのは、、
だから一言いいたくなるし、ネコでも言う権利はあるはずだと思う。
「ロッコ、ちょっと待って」
お父さんが、見たことないようなこわばった顔で口を挟みました。
「その、今朝あったんだよねぇ、その事件が、、その、、宇宙から、きれいな人が降りてきて、、色々と、、アの、託されたという、、あれ、今朝のことだよねぇ、さっきの話では!?」
うん、そう。
「どうして、その、、つまりだよ、言葉が判るにしても、あるいは喋れるようになったとしても、、そんなに詳しくというか、こんなに早くというか、説明もきちんとしてるし、むずかしい言葉を、、とても子供のレベルとは思えないし、それはどうなの? それは、、それについては何か、、聞いてる?」
ロッコが喋りだしことに驚愕していたお父さんでしたが、むしろその話す内容にも信じられない面持ちだったのです。

自分でもそこのことはよくは分らないんです。その人と一緒に宇宙を旅したんです。
最初はなにがなんだかわからなかったんだけど、宇宙に行ってからどんどんわかるようになって、、、そしたらそのうちに言葉がすでにあたまにあることに気づいたんだ。

生まれて3ヶ月のとき、お父さんにつれられてこの家に来たときからの、ありとあらゆる記憶が今、きちんと整理されたファイルになってあるんだ。
僕が何もわからずただ泣いてばかりいたとき、きいちゃんが、粗相しちゃだめよって毎日、新聞紙を取り替えてくれていたんだけど、、その新聞の一字一句が、全部いつでも取り出せるようにファイリングされてるし、いつもウチには外国の新聞もたくさんあったから、、ほんとうにいろんな情報が分別されて、頭の中にあるんだ。
もちろんそのころはゴロゴロしたり、びりびり破ったり、臭いをかいだり、なめたりしてただけだったんだけど、、、。

「そう、あのころロッコはちょっと目を離すと新聞かじって食べていたのよぅ、ヤギじゃないんだからって、アタシいつも笑っていたのに、、、」
きいちゃんが元気になったようです。きいちゃんの元気な顔を見て安心したロッコは、話を続けました。

リヴィングの古い籐の椅子がボクのお気に入りだったでしょ、
そこにいて聞こえてくるお父さんの話、お母さん、きいちゃんの話題、テレビから流れてくるニュースのぜんぶが、今、聞いたかのように頭の中にいつでも引き出せるんだ。
それから、、そう、こんなことも、、というと、ふわっと、ソファアを飛び越えて洋箪笥の横に立てかけてあったお父さんのギターを、突如弾きだした。

♪ジャンジャジャンジャピュン~ビビビビビッビ~、♪

「ベリー!? チャック・ベリーじゃないか!? うまい! ♪Johnny B Goodsだ。ブルースを弾いている、、、ネコが!?、、ロッコが! それも上手い! いや、、チャック・ベリーそのものだ! 本人みたいだ!!」ア然として叫んでいるお父さん。
きいちゃんが「カッコイイ~」お母さんが「ステキ~」と、いきなりの演奏会に二人とも大はしゃぎです。

お父さんが最近学生時代を思い出したかのように、ブルースばっかり、特にチャック・ベリーを聴いていたので、それで憶えたのでしょうか。
ウ~む、これは大変なことになっているのかもしれない。心の中でそうつぶやいたお父さんは、首筋にひんやりとした空気がとりついたまま、小刻みに体が震えるのを、抑えることができませんでした。深く一呼吸すると、ふだん仕事場でしか見せないような厳しい顔で言いました。

「わかった。もういいロッコ。その辺で、、、ご近所迷惑になるから、、ね、」
「えっぇ~!」「えぇっぇ~!」
お母さんと、きいちゃんは不満のようです。
「とにかく、今日はここまでにしよう。それで、、ちょっと聞いてほしい。今まで、ここで1時間ほど私たちが見聞きしたことは、実に不思議な体験だった。理解するにはとてもむずかしいけれど、、まぎれも無い事実だと思う、いや、事実だ。だって、ロッコが目の前で,いまこうして私たちの前で、、、、誰も信じないだろうけど、、」
いつも理路整然と話すお父さんが、ガタガタです。

「だから、その、本当にこのことを慎重に考えてみなくてはいけない。おそらくロッコは、とてつもなく大きなことに、立ち向かおうとしているのかもしれない。もし、そういうことならこれは私たちの問題でもあるし、ロッコのことも、家族として支えていかなければならない。
ただ私も、まだこの先のことはまったく予想がつかない。ただロッコが突然、あんなに高度な能力を持ち始めるなんて、、
とにかく、くれぐれも言っておくけど誰にも言ってはいけないよ。いいね。とくに、きいちゃん、いいね! じゃ、二人は寝なさい。おやすみ」
そういうと、お父さんはロッコをつれて書斎に入っていきました。カチャリと扉の閉まった音を最後に、長い沈黙がおとずれました。

3時間ほどたった。
扉が静かに開きました。ロッコが出てきました。
疲れた様子も無く、むしろ晴れ晴れとした顔つきです。ロッコはくるりと振り返り奥に向かって一礼をし、ゆっくりと扉を閉めました。取っ手を持つ感触が初めてなので、とても新鮮です。手の肉球にひんやりと気持ちがいい。黄銅製の美しい球形で、正面に花文字で“C”と誇らしげに彫ってあります。これは1952年に没したジョージ6世を偲んで英戦艦コリンウッド(Collingwood)に共に乗艦していた元海軍士官がロンドンのアンティーク商に、シリーズで創らせたものです。オークションでその一部をお父さんが手に入れたのです。

きれいだなぁ。
思わずためいきをついてしまいました。
いままで全然気がつかなかったけど、ゆっくりと部屋全体をみわたすと、わが家がとても優雅で、細部にこだわったセンスの良い家だったことを知りました。ロッコが初めてこの家にきた時、それは室内の大改修の真っ最中でした。かなり年季の入った洋館でしたが、外観はあまりいじらず、内装にとても凝ったプランのもと、職人達がたくさん出入りしてました。
ダイニングテーブルの真ん中に置かれた籐のかごのなかで、ロッコは生まれて初めて見るたくさんの男の人たちの熱気や、ペンキの匂い、漆の匂い、自然木の匂いにむせ返るような体の変調と、高まる不安を、ギャァギャァピィ? ピィ泣いて知らせていました。でも、お母さんが2階の静かな部屋に、と、籠に手をかけたら、
「そこでいいんだ」と、お父さん。
「でも、怖がってるわよ、、」
「人にも音にも匂いにも、早くなれなきゃ、、この町には住めないよ。ヤワなネコに育って欲しくないからね」
お父さんがきっぱりこう言ったんで、ロッコは一日中、工事現場のまっただ中にいる思いでした。

すっごいぃ!
壁を見て思わず叫んでしまいました。
きいちゃんとよく取っ組み合いをして、ぶつかったりしたけれど、ざらざらした、ただの白い壁のようにしかロッコには見えなかった。今、改めてみると、とても雰囲気のある表情を醸し出しているのがわかる。丁寧な力強い刷毛目のあとが、勢いよくいっきに跳ね上がるように天井まで立ち上がり、まるで抽象表現のように美しい文様を描き出している。職人の手仕事が冴えたとてもモダンな壁だ。漆喰の一種だがこれは焼き石膏、プラスターである。漆喰は東洋の家屋には似合うが、洋館にはプラスターが断然いい。
北側の壁にはロッコの大好きな暖炉がある。去年の冬はずっとここから離れなかった。プラスターの雰囲気を壊したくないのでお父さんはエジプト産の大理石アラバスターをかなり厚く使いプラスターとアラバスターあいだに、赤褐色のマホガニーをはさんだ。
業者がさかんにイタリア産のカラーラをすすめたがお父さんは断固アラバスターにこだわった。こうしてみると、アラバスターの白い色調がとても品が良く、調和が取れているのが良くわかる。暖炉の上には、お母さんがおじいちゃんから受け継いだ、14金の唐草模様が可愛い、小さな置時計がチョコンとのっている。

「あっ!」と短く叫んだロッコ。                          午前4時だ。今日もまた、東向きの窓辺に行ってみたい気持ちになってきました。好奇心の強いロッコです。でも昨日までのロッコとはぜんぜん違います。生まれ変わったロッコです。艶がかった花梨の手すりが、やわらかな美しい曲線を描いて2階へと、のびている。
ロッコは、はやる気持ちを抑えながら、まだ不慣れな2足歩行のため、手すりに軽く手をやり、ゆっくりと確かめるように一段目に左足を踏み出した。

新たなロッコの第一歩です。